某妖怪にもの申す!

自分には身に覚えがないのに、台所に行くたびに皿だらけになっているのも、週末にしか会わないはずの夫にたまに出くわすと、怒鳴りあいの大喧嘩になるのも、正しく心がなくなるてぐらい忙しいのも、自分は食べる暇がないのに見るたびに空の袋が転がりすぎなのも、ついでに紅白が48だらけで、ステージに乗り切るか勝手に心配してしまうのも、みんなみんな、妖怪のせいだ。
最後の妖怪は、老婆心ていうなまえ。

ほんとうは仏教美術や古典に興味があり、たまには考え事をしたいけれど、そんな静けさは、昼間でさえとれない。。見てくれや身分は置いといて、1000年前の更級日記の時代から、女性は生き方に迷ったり振り回されたりする立ち位置の生き物かもしれないなあ、とよく思う。
そうして、主婦専業を選ぶと、自分の個性はない!

先月、一周年を迎えて、そこでブログ閉じる予定だったのにまだ書かずにおれないとは、妖怪のせいだ!
大体、妖怪のせいで、あれやこれやで品薄で、夫と夜中に大喧嘩しているんだから、謝りに来てほしいもんだ。誰に?

でもね、誰でも、後ろに誰か居ないと、100%の力で頑張れないから。家に居る女性は輝いてないともかぎらない。私は、すっかり闘病に甘えた生活しているけれど、、できることは思い切りしている。誰も気付いてくれないから、まだまだ力不足なのは、認めるけれど。

自分の専門から、もし万が一子どもに恵まれたら、昔ばなしの世界観は伝承しようと、ずっと願ってました。現実は、伝えたかった妖怪は、古典妖怪と呼ばれ、新人?から、ハンパなくリスペクトされている始末。。。なんか、そんなはずじゃなかったんだけれど。。。まあ、時代か。。いいのだろうか。





私のじゃないのに、洗濯物ばっかり!!

マクロにミクロ

先月だったか、大きなスーパーにいくと、なにがあったんですか?と思わずたちどまるほど、長い行列ができていました。50人は軽く超していたでしょうか。


私の真横の店員さんが、拡声器で、只今からはじめます、とやりだしました。なにを?と思ったら、1人1パック、99円卵を手渡していきました。黙々と行列が動き始めます。配給てこんな感じだったのかな、と思いました。
うちは、新聞に広告が入らないから、じかに自分の目で見ないと分からないわけです。

年末の超忙しいときに大切な選挙、考えてみる暇が有権者はもちろん、立候補側もあるのかな?年始の挨拶は間に合うのかな?当否がわからないのに、とか余計なことも考えます。しかし、街のなかを、ほんとに首相たち、歩いてみましょう。頻繁に。アタマのなかとはズレてること、計画とは時差があること、だんだん見えてくるはずです。

いくら計画外の声でも、表立って有権者をなじれば、人間性がそこまでとみなされます。焦ってるのはわかりますが、、お立場上は。

収穫の秋

断れないところから、手作りの大根を戴きました。丹精込めたうえに厳選してくださったのでしょう。もう野菜室に入りません。葉も、有機栽培だから有効活用したいし。

遊びに出た子が、よちよちあるきの子をいつも混ぜてくれてありがとうと、その親御さんから柿を戴いてきました。

そして、子どもが毎年恒例の、収穫体験。近くの畑でひとり一本大根のはず、、、あれ我が子は二本?

たまたま、小さくて傷みがあったから、もう一本どうぞというご厚意とのこと。

得したね!は、口だけだったかものワタシ。野菜室に入るか~!!と、勿体ない叫び。。外に出しましょうとか、室温でいいですとか、あるでしょうが、いつ倒れて寝込んでもいいように、涼しく保存したいのです。

これも有機栽培、葉も、たっぷり使ってねとのこと。。

ワタシの育った街は、都会すぎて有り得ないというか、ついていけません。地元に話せば笑われる話ですが、私は今の土地のふれあいの方が望ましい地域のありかただと考えています。だから、、圧倒されちゃいけません。日々、主婦としても学ぶことは多いのです。


近々、寝込みます。たぶん。

補足、いまごろ?

ほんとは、プロフィール欄に書きたかったこと。


私の説明がそもそもなかった。

幼い頃からちゃんとした家庭で思いっきり虐待受けて育ち、教師にも周りにもしねしねといじめられながら、なんていうか本当に死ぬところだったのをなんとか生き延び、

成人できたら、交際相手のことで親に激怒され、絶縁されて20年。そんな中で、昔の知り合いがみなみな大学教授やら医者だらけになっているなか、ぽつんと専業主婦で、毒親だけど会いたくてうつ病も発症するなか、毎日を生き抜くアダルトチルドレンの1年間。

来年、あの地震から20年。地域も何もかもが、たくさん私の中で壊れてしまいました。唯一の親代わりだった祖父母も私に夢で知らせた以外はなんの連絡もなく亡くなり、気弱な日は、迎えにきてほしいと泣いてばかりいます。

そんな、医者にも、天涯孤独、とカルテ一行めに書かれた女性の、一度吐き出して整理して楽になってみましょう、ブログでした。

文字にすると、我ながら生きているだけでエライ!と言ってやりたくなります。自己満足するしか、前に進む方法がわかりません。でも私もヒトの親、やはり闘って、こんなこと繰り返さない人間めざさなきゃ。

何もかも投げ出したくなりながらの1年間でした。これからもつづくだろうけれど、一通り話せる範囲のつらいことは吐き出したから、なんとか歩くのみ、です。


こんな説明してないと、何を抽象的に遠回しに辛いつらいばかり書くんだと、ワケわからないので、最後になって書いております。これだけ打ち明ける勇気もなかったというか。

大人も遊びたい

考えたら、子どもの遠足が本気でうらやましくてならない。代わりに行っても、たぶんたのしくはないだろうが、秋なんだし、あちこちみんなで遊びに出掛けてみたい。

育ち盛りのはずの中学時代、800mを、5分半かかってもまだ走りきれず、脈拍は200を越して、いつも倒れていた。友人なんかは3分かからないくらいで脈拍は100~120。変だなあと思って居たけれど、幼稚園から遊びにいく行事は全部事前に休まされ、座って勉強だけて環境がきつすぎて、心肺が育ってない?


単に要領悪くて体力ないだけかもですが、今は病気もあり、年齢もあり、すぐに疲れます。

まあ、遊びに送り出すのは親も大変だからね。苦労はいま、わかります。

だから、私のことは許しませんが、毎日、無事かな会いたいなとのんきに考えない日はありません。会っちゃいけないけど、会いたいな元気だよねと心配しないように、私は倒れない程度に今の家族に馴染むしかありません。こういう幼児期だと、どこにいても、自分の居場所がない気がして、馴染めない。厄介な、でもだからこそ、幼児期の周りて、大切です。ただ、大声あげて遊んでるだけじゃない。大切なあの時にしかできない成長をしているみたい。いま、そう感じます。

一年間、ブログで毒ばっかり吐いて、いいことをしたとは言えませんが、気持ちはかなり、楽になってきました。

遊びたいなあ。遊べる大人、なかなかいるはずないけれど。

閉じる訳じゃないから、また困ったら愚痴を書くかもしれませんが、今月は一年間を振り返り、意外にブログ、毒だらけだから、下手なんだけれど、この作業は私には良かったかも、と感謝しています。

明るい楽しいブログ、人生の為になるブログ、たくさんあるなか、見てくださりありがとうございました。

閉鎖はしないけど。なんか寂しくなってきた。

気付いたらまた踏みとどまれることもある

もうダメだ、もうイヤだと思いながらもまだ生きていられるのは、自分が辛かった子ども時代に、よい大人たちにもたくさん出会えたから。という部分も大きいと思う。会えなくなっても、いよいよ追い込まれた時に、ふっと名言を思い出したりして、気がついたら何となく眠れていた、目がさめたら別の1日が待っていた、みたいな日がたくさんあったように思う。


そんな、足を向けて寝られませんみたいな何人もの大人のなかに、ひときわ強烈な印象のかたが居られる。
だって入試問題にクラシックや童謡ではなく、お笑いタレントの歌うCMソングの譜面を出されたんですよ。正面からしか勉強、しかしてこなかった私が知らない譜面だ!と会場でパニックに陥るほど、お茶目な先生なんです。

でもまさか、その方の娘さんが、あの新人歌手だとは、気付きませんでした。。だって一%もどこも外見が似ていない。。失礼、才能はもう、そのものです。娘さんの真っ直ぐな歌声に、ああこんな方のお父さんに驚かれるほどの狭い音域を披露していたのかと思うと恥ずかしくて、懐かしくて、歌手さんまで会ったこともないのに妹か娘みたいな気がしてきて、はまってます。

いつか全国区の歌手になって、歌声でまた、私を励ましてください。いつもいつもお世話になりっぱなしな人って、誰にでも必ずいるんですね。絶望の時に思い出せればよいのだけれど。。

つい思い出すこと

気が付いたら、身体的虐待と言葉虐待ばかり受けてきた。よく自分でも、生き抜いたなというぐらい絶望的にアザがたえず、受けた言葉はこれ以下の悪口も人格否定も考え付けないものばかり。痛くて血まみれで泣くと、うるさいと余計に殴られた。虐待ポイントは人それぞれだろうが、私は勉強がきつく、99点だと、そんな目に、一年生から当然みたいにあっていた。
幼児期は親に離れた場所から敬語でないと、にっこりなんかしてくれなかった。

ケガを医者に見とがめられても、何故だか必死で、1人でぶつけたと言い張った。

見て見ぬふりをして、構ってくれぬ子ども(私)をにくみつづける家族もいた。

勘当されて追い出されて20年近く、いや、これからも一生会ってはいけない理屈は、私が一番わかっている。


でもなれない土地で1人、気持ちが疲れると、帰りたい。どこにいるかはしらないが、会いたい。毎日会いたいと思い出さない日はない。居所知りたい。

でも、一生許してはならない。

あまりに残酷で、私が大好きだと思う感情自体間違っている気がして、今夜も1人、夜空を見上げたけれど、曇っていた。

ここが解決しないと、薬なんて気休めにしか過ぎない。話を聞かされてもなにも踏み込まないで知らないふりばかり、かける言葉もないからほっときましょう、の今のり家族は家族では到底ない。
他に行くところがないから、ここで、なにも知らない、気にしていないふりして生きるしかないだけで。


唯一、無条件で愛してくれた祖父母に、もう迎えに来てほしいと毎日願う。ああまで傷だらけになりながら必死でかくして勉強して、今は誰のやくにも立てず、何もなしていないのに、まだ死ねない。

幸せに愛されて死んだ人全員に、替わりたい。

一生、この感情は抱えながら今を生きなければならない。