つい思い出すこと

気が付いたら、身体的虐待と言葉虐待ばかり受けてきた。よく自分でも、生き抜いたなというぐらい絶望的にアザがたえず、受けた言葉はこれ以下の悪口も人格否定も考え付けないものばかり。痛くて血まみれで泣くと、うるさいと余計に殴られた。虐待ポイントは人それぞれだろうが、私は勉強がきつく、99点だと、そんな目に、一年生から当然みたいにあっていた。
幼児期は親に離れた場所から敬語でないと、にっこりなんかしてくれなかった。

ケガを医者に見とがめられても、何故だか必死で、1人でぶつけたと言い張った。

見て見ぬふりをして、構ってくれぬ子ども(私)をにくみつづける家族もいた。

勘当されて追い出されて20年近く、いや、これからも一生会ってはいけない理屈は、私が一番わかっている。


でもなれない土地で1人、気持ちが疲れると、帰りたい。どこにいるかはしらないが、会いたい。毎日会いたいと思い出さない日はない。居所知りたい。

でも、一生許してはならない。

あまりに残酷で、私が大好きだと思う感情自体間違っている気がして、今夜も1人、夜空を見上げたけれど、曇っていた。

ここが解決しないと、薬なんて気休めにしか過ぎない。話を聞かされてもなにも踏み込まないで知らないふりばかり、かける言葉もないからほっときましょう、の今のり家族は家族では到底ない。
他に行くところがないから、ここで、なにも知らない、気にしていないふりして生きるしかないだけで。


唯一、無条件で愛してくれた祖父母に、もう迎えに来てほしいと毎日願う。ああまで傷だらけになりながら必死でかくして勉強して、今は誰のやくにも立てず、何もなしていないのに、まだ死ねない。

幸せに愛されて死んだ人全員に、替わりたい。

一生、この感情は抱えながら今を生きなければならない。