居場所

ものすごく、人見知りが激しい。

子どもの話ではなく、私自身が。人を選り好みなんてしてる間に、人生残り時間なくなるわという今に至っても、あまり人を信用できない。

でも、親に抱っこされることを期待もして居なかった3歳の頃なんか思い出したら、おんぶはいつも祖母の背中、同居してないのにですよ、親のモットーは、他人なんか信用する奴はバカだ。実際、母親は友人がいないことを自慢していました。内心寂しかったはずなのに、すごく誇らしげに、人を信じたらろくなことはないと。よほど、若いときに何かで傷ついたのでしょう。

ただ、これじゃ、人を信じる子どもにはなりにくいかも。詐欺には引っ掛かりようもなくて、いい面もありますよ。それは感謝かな。

私が在籍していた学校なんかは小さくてその分濃密で、同窓会も活発です。実家に案内来てるけど、新居更新まではなかなかしてないわ、て方は多いかもしれませんが、私は完全に行方不明者です。

これでいいのか、ずいぶん考えました。ふっと、選択の連続で、人それぞれの現在がある気がしました。

高校までは馴染めたり馴染めなかったりだったけれど、私は私なりに、宝物のようにキラキラした中高時代をおくらせてもらいました。これは、かえがたすぎます。ただ、今は、遠くで、自分を作っているから、戻らない選択しているだけです。

大学の友達は、一生付き合っていくつもりの人に多く巡りあえました。その違いがどうこう言いたいわけじゃなく、私には、友人がいる、独りじゃない、ありがたさを感じます。

難しく、なぜあちらは人間関係の縁が薄くてこちらは恵まれたか、追求したってわかりません。ただ、居場所があることにありがとう、


結婚した頃は荒みすぎていて、周りをバカにしていました。歳をとると、それなりに自分の舞い降りたところで根を張って、周りをみて、だんだんそれが、自分の居場所です。。

産まれた環境と違いすぎて、人を信じなさすぎてかなり難工事だけれど、生きてるかぎりは、居場所、作り続けるのでしょう。

あんまり、こんな苦労はしたくなかったけれど、そうするしかないなら、仕方ありません。疲れている日が多いから、いくら呆れられても、休みすぎながら、その分周りを頼って、苦手なんだけど、


私も、出てよかったじゃない?こもっていたら、会えない荒波。。。

でも、絶対に帰るからね。すっかり諦めていたけれど、居場所を作っているみたいだから、そのあと、帰るね。。。