13年前

13年前の今日、私は食中毒で倒れていた。
昼頃に起き上がり、TVをつけたら、見馴れた制服の番組ばかり、、

え?え?

と1人、おろおろしていたのが、私にとってのあの事件のはじまりだった。

少し前に実習した、大好きだった感じのいいテラスは朱に染まったという。それを聞いてお盆に、友人と献花に向かった。

1つ事件があり、誰かが傷付いたり亡くなったりというのは、被害者がでました、だけには終わらない。実に長きにわたり、関係あるのかていうぐらい広い範囲の人間の心を傷つけ、影響を与えて、人生を変えてしまう。

自分の子どもが、クラスごと、教室のなかで大人しく座っている今を見ただけで、私はショックを受けている。これが普通の学校なんだなあ、私が数年後からずっと見てきた光景、あれはなんだったのかと。

在校生も親も教師も傷付いて、呆然としていた。なにをしたらいいのか、分からなくなりすぎていて、何だか大混乱のなか、まるで興味なかった教職に引っ張りこまれて、気が付いたら自分が受けたのとはまるで違う子育てを選んでいた。

大混乱のなかには、首をかしげたいものもたくさんあった。学校が正しく立ち回りましたとはいえないことも、その他のことも。でも、みんな傷つけられて、なにをしたらいいか分からないままもがくしかなかったのだろう。

意外に、数人が物理的に傷付きましたでは到底すまない問題を、加害者は社会に提示していった。ちゃんと、2度と誰も傷つけない構えが、私たちにそんな方法が見つかったろうか。

人間が人間を育てるのは、かようにも長くて多くの人を必要として、すぐにはなんの成果も変化もない。守るとか簡単に言うけれど、退屈なぐらいの平和って、何なんだろう?バランスがさっぱりわからなくなった現場、と申したほうが近いかも。いや、育てるどころか、命を産み出すだけでもどれだけ大変か、はっきりいって、苛立ったり、ふみつぶすのはあんなに簡単なのに!

いろいろ学ばされた13年間だった。


でもね、何年経っても、あの頃好きだったものはいまも好き。非力だけれど、それぞれに大切なものは、変わっていないと思う。守る側は地味で報われなくて非力だけれど、想いは誰にも変えられないし、考えようで前に進める。、、、そうでなくちゃ、何の進歩もない。