最終回、かな。

気が付いたら、目一杯、虐待されて育ちました。

母は、友人が1人もいないことを誇りにし、他人も家族も悪口しか言わず、自分以外を信じるやつはバカだが、信条です。
私が一点、テストでミスをすると、身体中アザだらけにしても、物足りないらしく、生きる価値なし、出来損ない、死ね!と、毎日怒鳴り続けるだけ。

父親は完全見てない知らないの一点張りで、私、三歳の時に2ヶ月ほど祖父母に預けられていましたが、父母を見かけると身体がかたまり、身を潜めて、絶対に会いに行こうとしませんでした。
遊んだ記憶は、実にその2ヶ月間だけで、生き生きといつでも思い出します。あとは、監禁かなあ。知り合いが、本当に母親に、ロープで椅子に縛り付けられ、そのまま勉強づけ、後に京大に進学しましたが、母親は、しきりに彼女の母のやり方を尊敬していました。やらなかったのは、ほんと、ありがとうとしか言えません。


世の中は生まれてきてはならないところで、親以外は信用しては駄目で、何があっても一生言いなりでいろ。外にはでるな。息をする暇があれば勉強知ろ。他のことなんか一切できなくていい。醜くて恥ずかしい生き物だから、外で顔をさらすな。そんな、方針でした。



後に絶縁することができて、本当に居所もわからなくなり、もう十数年?
なのに、まだとらわれていて、居場所知りたくて、完全にうつとか不安障害、各種人格障害に悩みながら、まだ会いたいとか泣いています。


偶然の連鎖で、私の自覚や努力じゃないけれど、家を出られたのです、出たばかりの頃は、いつ親に踏み込まれて刺されてもいいように、夜中も寝ず、戦闘服、つまり寝巻きなどにはならず、おびえきっていました。

今は、書けるようになった。骨折させられても、医者が不審に感じて質問してくれたのに、私が勝手にぶつけた!しか言えなかった子が、ここまで言えるようになった。

現在、もちろん人の人づてですが、親達は、昔からのしりあいには、娘は死にました、と言っています。知らない相手には、最初からそんな子はいない、と話しているそうです。

だから、私は、もう胸いっぱい、呼吸していい。気になって離れないなら、ムリに横に置いて、今の生活を大切に。まだ、人生、終わっていないから、考えを修正していけるはず。


こんなにのたうち回らないといけないほど、苦しいとは。楽しいと感じる時間を過ごすのが、まず目標かな。

書いてしまった。このブログ、とうとう終わりか?

でも成長、か、客観的にみられるようになった兆し。それなら、書いてきた意味もあるでしょう。