雪には仏像

遠くを仰ぎ見ると、かすかに雪景色は残っています。

雪が降る音は静かでどこか神聖で、ぴんと身がはりつめます。たった数時間でも。

平凡な人生だと嘆くのは本人だけ、他人にはそうは映らない、と読みました。嘆いてはいませんが、焦りは相当なものです。確かに、波瀾万丈で不思議で、勇気ある選択もして、めげてますが、人生をまだ投げ出さずに粘ってはいます。

二軒めの病院で事情を話し始めると、カルテにまず「天涯孤独」と、書き込まれました。もちろん最初は唖然としました。が、次に笑えてきました。客観的にみたら、これが天涯孤独かあ。と。それでも知らない土地で生きてるんだから、全くの努力ゼロて訳でも、ないのでしょう。

うまく言えないのですが、時折拝観する仏像だけは、人間でもそうでなくても、受け入れてくれている気がします。まあ、気が合うのと合わないで、私を明らかに見てないなこいつは、というのもありますけれどね(敬省略)

最近ゆっくり観られません。本ならお会いできますが、何だか、厚みがありません。かといって、うちに来てくださいて頼んだら、入らないよなあ、すぐに虫にやられるなあ、でも孤独じゃなくなるね、と想像することがよくあります。

仏像に見とれるだけで、多少はいくつかの宗派のいろはをかじりましたが、やはり、できたら黙って見とれていたいものです。静かな雪の日などは、ほかに何が要るでしょう、とスマホを握り締めながら考えるわけです。

今まで学んでいた世界とちがいすぎですが、それはまた機会があれば振り返ります。