我に価値なしと今更気付く日よ

頭の整理をしきれておらず、要するに混乱中です。

普段からトッピな発想はするものの、そこに至るまでの知識や基礎やデータ裏づけがなく、あんたの論文は弱いよわいと言われてきた私が厚かましくも、万能細胞、よく毎日の迷いに負けずにやれたなあ、と人の功績に涙しています。毎日の地味な作業、笑われて挫折、悔し涙でもう1回だけ試す。何もかも、私の理想の姿勢です。厚かましさは今日は許してやってください。

文系のくせにそんな仮説も実験もあるかいと突っ込まれたら、確かにその通りです。でも、古い手法で正面玄関から入るだけが研究ではありません。たまには否定したり横道捜したら、ひょいっと。
まあ、そう古いやり方に大否定され、漱石坊っちゃんばりの喧嘩ふっかけて業界に戻れなくなったのは、私の能力のなさそのものです。あれば、自力でドア開けてますから。
或いは、励ましや援助があるはず。本人がすごければ。

それにしても、みんな、自分の持ち場を毎日守り、それで人間社会は毎日回っていきます。私は無能だ~!と叫んで何もかも投げ出したくなるほど、自分のことが不甲斐ないのは、あまり周りにおられません。或いはどこかで妥協してるんでしょう、自分以外に見かけません。そうしたみなさんが大人に見えます。

幼稚でしょう?小さい頃、不惑には道が一本見えているかなあ、私にはムリそう、と何度か感じた記憶がありますが、案の定です。いや、まだ不惑ちがうけれど。

まさに、こんな日には花を買ってきて妻と親しみたいですね。。妻なんか居る訳ありませんが。


自分にしかなしえないことに本当は少し気付いてきたくせに、過去の乗り越えきっていない思いもよく、交差します。