肯定して楽になりたいな。

迷える大人の独り言ブログですが、こんなものを通りすがりに見てくださってる方、ありがとうございます。世の中は独りではないような気もしなくもありません。カウント数だけで、寂しくない、寂しい私です。

思えば昔、某大学の博士課程1年で、学費滞納しすぎてやめるまで、私には研究者以外の進路は見たくありませんでした。

今は現実には私に欠けていすぎた基礎的な価値観、安定した人間関係てナンダロ?と、そちらを先に充実させることまで流されつづけ(更級日記的な流され方ではないつ
もり)て今にいたります。すると今度は流されすぎて、研究からは遠ざかり、霞がかかり、あぁいい立ち位置は難しい、とため息です。


しかし、不思議に後悔はあまりありません。関心ある分野が変わったせいもあります、日常からも学ぶ事が意外に多すぎて驚いているせいもありますが、私自身の能力も大きい。知識はため込めません、論文も短くて書くことがなくて困ったものです。

直感はすごいかもしれません。それじゃ、論文のろの字にもならないことは、自分が一番よく分かります。
読む、歩く、そして常に考える。その過程が楽しくてたまらないだけで、論理的にまとめあげましょう、は、よほど静かな環境で出家的な生活でもしないかぎり、私には無理です。

日常の俗な世界のなかで研究者足りうる方々は、本当に素晴らしいです。昔は羨ましくて悩みましたが、無理なものは無理なので、せめて遠慮せずに研究、いや勉強したいことを絞り、締め切りないわけだし、追究し続けたいです。職業にするアタマはありませんが、探究心がないと枯れ木になる私は、今の体調など落ち着いたら、どうしてもやりたいですね。

ぐらいしか、自分を励ます糸口が見つかりません。理屈はそれでいいんだと思いつつ、孤独な決意なのです。周囲に仲間がいるわけではありませんから。


もしかしたら、色々な事でとっくになくしててもおかしくなかった命です。だったら、まあ、例えば仏像にみとれすぎな自分がいても、肯定していこうと思います。