センター試験から・・・

できるもんなら忘れてしまいたいことたちの一つが、センター試験。でも時期がら、思い出しますね。吐きましょう、楽になるために。

国語はよかったです、200点満点として、190点超えてましたから。
あと全てが、思い出したくないわけ、かな。例えばある教科、私はセンター会場で、本気で鉛筆を転がし続けました。学校で習っていないとこだから、それでいいやと、出た目のとおりに大問1つを丸々解答。

後で、答えあわせとかありますよね。何か、鉛筆転がしが一番、点数を稼いでいました。いくら、赤地が基本で、ところどころしか黒がない成績表を3年間通し、よく卒業できたな高校とはいえ、地域女子では一番といわれていたらしい、進学校ですよ?東大京大とクラスに名付けなくても、勝手に半分はそれらに進む高校だったらしいのに、習ってないから知らなくていいや!と、本番で思った私。学校の黒歴史になってなきゃいいのですが。

家では、1つしか受からなかった大学に通うか話そうとしたら、先輩と称する予備校の方々から、そんなマヌケな学校に行くつもりか、と酷すぎる電話がじゃんじゃんかかってきました。しかし外だけではなく、親の間でも意見が割れており、片方は、女が四年制大学に行くだけでも一族の恥なのに、ローニンなんかする気か!?と。本当は博士になりたい、あなたの産まれ故郷から出た学者が拓いた学問に自分も就きたい、だなんて厚かましい夢は、とうとう1度も打ち明けられませんでした。
案の定、後に、マスターだけで恥だと縁を切られまし
たが、もちろんそれだけじゃありません、まあ色々と、私を理解したくもない!て、幼少期から嫌われてましたね。何でなのか、もう2度と聞けませんが、相性の悪い子供だったんでしょう。


ちなみに、私は唯一良かった国語を専攻しませんでした。得意だからライフワークとか、苦手だから育てないとか、そんな単純な話じゃないはずなんですが、世の中は。

いくら薬を飲んで治療だとかいっても、たとえばこういう理由のある哀しみは、埋められません。せいぜい薬で落ち着いて、じゃあ自分は次、どう生きようかと考えるしかない。

怒りはなく、寂しいので許さないだけですが、許さない思いにはとらわれていません。私が生きるためには、許さないスタンスでいるべきだから、ぐらいな意味合いです。今なら逮捕ものの、酷い虐待しか受けなかったけど、親と呼ぶ時間が持てた幸せは、絶対に変わらないし忘れていません。


このキモチ、寂しいよ。だけど、これしかなかろうと、おもいつづけます。いま、あなたたちはどこで何しているのですか。