愛着て、大変な作業。

いくら、頭の表面でだけ、落ち着こうと思っても無理なのかもしれない、と疑いたくなる時がある。

我が子だけ見ていても、幼い心が安定を得るにはここまでの周りの愛情が要るのかと、よく驚かされる。

ましてや、成人後にまで、生存や存在を公の場で否定する大人たちって。どれだけ、不安定な精神になってももう、自分を育てなおすことは不可能なのだろうし。

でも、事実は許してはいけないだろうが、毎日、今すぐ、自分を育ててくれた人たち総てに会いたいと願う。人に罪を感じられないあたり、愛着は私にも根付いていると喜ぶべきか、恐るべしお人好しと言うべきか。

いまはただ、恩師にさりげなく言われたとおり、自分が家庭を築く番。足りないと感じてきたことは、プラスしていけばいい。

理屈はそうだけど、泉を前にしても、充たされることのない喉の渇きは抱えたままで、大変だろうな私、とつぶやきたくなる。いや、衣食住の幸せに行き詰まっていた頃からしたら、こんなアタマのなかのこと、乗り越えられる。

だろうか。そもそも、こんなにもがかなきゃいけないのだろうか。