春をさがす

時々、すごいなと思う曲に出逢う。

私の好みは古すぎて、昭和に流行ったものならほぼ全てわかるため、平成の流行りが皆無なぐらいに分からない。そんななかで、いくつか初対面でストンと胃の府に収まったひとつが、たとえばコブクロの「風」だったりする。

というより、他の曲は1つも、最初から最後まで聴いたことがない。何ともったいないことをしているのかと思いつつ、聴いたことがないものはないと、告白してしまうしかない。

ただ幸せなことに「風」だけは耳にした瞬間、一耳惚れして、曲名さがしてさがして、即ダウンロード。私のこと、後ろから見て書いただろみたいな、錯覚にみごとにはまれる。

そう、普段の私は立ち止まって、道の真ん中で朝から突然泣き出すような性格。実際に見掛けたら忙しいときに邪魔というか、気持ち悪いというか。

あまり、現代のテンポにはついていけないしついていく必要もないかな、と。

最近見た映画、ウォーキングwithダイナソーなんかを思えば、悠久に思える時間も想いもほんの一瞬で、生命が種として引き継げれば、もうそれで生きる意味は達しているのだけれども。

時おり、さまよって春をうろうろ、この歳でさがしに歩くのは、愚かでしかないのでしょうか。

若い時にしかここまで繊細な思いに浸る時間、ないかもしれない。でも、やはり、幾つでも、外見ダメでも、感性は恥ずかしがらずに大切にしたい。精神的には落ち着きたいけれど、ささやかなことに揺れ動く心は、持っていたい。使いどころがなくても、感じることが生きていることの一つならば。