何とかやっていた思い出

ずっと、アルバイトで生きていた時期が何年かあった。

あの頃は我ながら悲惨なのに、おかしかった。やっととれた、臨時の日雇いバイト。仕事を取るのだけに夢中で、交通費がないことに夜、気付く。お金がないから働こうてのに。そこまで自力で辿り着けない奴には働くチャンスも与えられないのか。その日の明け方まで私は、部屋のなかを大捜索。見つかった五円玉で、果たして切符が買えるのか。機械に入らないなあ、ああなんで、ATMでは千円未満が引き出せないんだ、あれだって立派な私のカネだ、と心のなかだけで叫ぶ。横に窓口がある?恥ずかしかったのです。当時は。

当時はといえば、まだまだ、固定電話最優先の時代。回線なんか引ける訳もなく、そう伝えると次からは「ああ、電話のないヒトね」呼ばわりされたことも。未だにあの病院の看板を見かけるたび、胸に石がずどんと入る気がする。

そんななか、時間を中途半端にもてあまし、仕方ないのでファストフードで暖を取ろうとしたこともある。そしていつも、何時間居ても、楽しげなクリスマスソングは、よそにいってくれない。寒くなかったら、こんな、何重にも寂しい思いはしなくて済むのだが。

あの経験があるから、大抵のことは乗りきれるかもしれない。たとえば100円あったら何をするか、その無限の可能性と、私の選択について、語らせるとキリがない。
しかし、今はさすがに、幼子にそんな経験させる訳にもいかない。その時期のストレスのツケにも悩まされている。ただ、電話やTVのアルナシで、会ってもいない人を判断したくは、いまもない。