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ずっと、ブログ止まったままだった。


あれから、思いがけず、いきなり降ってわいたように新しい命を授かった。
実は今の子どもたちのまえ、不妊クリニックを薦められたほど、流産つづき。で、何も治療らしきことをせず、いきなり今の子どもたちが出現。

それ以来となる。

毒親の定義?にピタピタ当てはまる我が身を振り返り、やはり私は私の人生を生きようて、初めて思って数日後の出来事。

ただ、これ以上、命の心配や世話は難しい。出現といっても、さんざん入院を繰り返して、無事に産まれてきた子どもたちなのだ。今回、この高齢で何もないはずがない。


葛藤と孤独とつわりと、薬飲めない苦しさと、でも母親家事の忙しさに、誰がこの国を少子化にしたのかと、しみじみよく分かる、あの辛さをまたまた味わいながらの数週間。世間はこんな女を働かそうとするが、実際には一番、就職させてもらえない。なら、未来を育てる仕事をがんばろうと、思えるようになっていった。

突然、無理だと思った。思ったというより、分かった。また、育っていない。あとは満を持しての心拍確認で前に進むだけとなった時、急に、心拍がチカチカ光るイメージが湧かない自分に気付いた。これは、何度やっても、光らない。

診察に行く僅かな階段が、死刑台への階段にしかみえなかった。


その通りだった。


何度も丁寧に驚いて診てくださった先生にも、やはりしか思わず、手術の説明も、三度目になるくせに、過去の麻酔が臨死体験のようなききかたをしてしまった(誰だ気持ちよく眠って終われるなんて体験談は)私には恐怖でしかなく、
あんなに戸惑っていたくせに、涙が止まらないなか歩いて、涙を流したまま道をすすんで、家族の声もたまらなく遠くてうっとうしかった。


死んだというか、生きていたのかよくわからない、どこからが生のはじまりか不明だけど、まだ、よくわからない我が子といっしょにいる。複雑な感覚。

今居る子どもたちは、度々いろいろな意味で奇跡だなあと思ってきたが、今回はひとしお、不思議なもんだなあと思わされている。


にしても、10周年結婚記念日、式も挙げてないのに、記念日に手術台て、何なんですか?一切付き添いなしで。結婚生活とは怨みの蓄積かもしれぬ。