私は難しく考えないようにします

自分が産まれてくる前のこと、なかなか覚えてるもんじゃないです。

自分が死んだあとも何処へ行くんだかどうなるんだか、議論はあるのでしょうが、死んでみないと分からないのがまあ、大体でしょう。

となるとその間、生きてると信じているこの空間は何なんだろう、脳が勝手に、我は生きている!ナニカヲナサネバ!とか叫ぶだけで、何かの実体のない空間にある今を、自分は生きている、なんて思い込んで、わかった気になっているか、そもそも疑問を感じないか、が殆どなんだろうと思います。

昔は、自分も夢を叶えたいとしか思わなかった。けれど、寝ている間すら、起きている間の真剣な思いを意外にけろっと忘れていたりしますよね。

本にかじりつく間に、頭でっかちになっていたかもしれません。本当は、あの時もがいたみたいに難しくも、苦しくもないのかもしれない。ただね、意識がある間は、できたら苦しまず、楽しみたい、意識が幸せだと感じることをしてみれば、意外に人生とは、て構えずとも、自ずと何か見えてくる気がします。最近。


昔なら、はなから馬鹿にしていた、見知らぬ人との挨拶すら、実はこの苦しみを和らげる第一歩なのかもしれません。頭で考えて意味のないことはみんな無視して考えてばかりいたはずですが、誰かの声を聞こう、くだらん言葉も発してみよう、この歳でも踊ってみよう、で、あれ?いま、楽だよ?て思う場面がで出しました。てことは、それも私にとっては1つの解、ですかね。

私の脳が、私は生きていると認識する。不安や危険、病気や飢えに直接さらされていないなら、まずはそこに感謝。最初は馬鹿馬鹿しいけど、こういう積み重ねが人生なんだし。


私自身、うまくあそぶ、切り替え下手なので、難しく考えないで、なんとかやっていく。1日を一生と思え、じゃないけれど、考えようで、毎日は新しいし、自分も昨日とは違うのですから。

できてたら、悩みはそもそも生じませんかね。