今年も

幼き頃から、何千回死のうとしてきたか、わかりません。


でも何だかんだと、今日は知り合いの誕生日だから、うまくいかなかったから、と、理由にもならないようなことで、ずるずる居ます。

ただでさえ心は孤独だったのに、そのうち物理的に孤独になり、我が子にも、何だか不思議な遠回りをして、なかなか会えませんでした。何度かの全身麻酔に入退院繰り返し、やはり耐えきれずに家出をして、街をさ迷い続けたこともあります。

偶然、私に何か見えたらしき不思議な人に、何も説明していないのにですよ、いきなり、子どもたちが泣いているから、イキロ!!と叱りつけられて、意味不明のまま、その家出は終わるのですが、なんでしょう、この世界にあるうちは、何を成しても成さなくても、残酷なぐらい、1つの命を有しているんだなあと感じ入る近年です。人間に信仰が何故だか必要な理由も、わかる気がします。

自分は誰なんだともがき苦しまなくとも、いや一度は考えてみたほうがおすすめですが、深く恥じなくとも、生きているだけで、けっこうすごいことなんです。

子どもみたいにきれいな心ばかりの世界なら、どれだけよかろうと、また自分を引きとどめる言い訳に使ったり浸ったりもしますが、それは実際に無理でも、例えばきれいな心に出会うだけで、少しずつ、何かが変わる気も、しなくもありません。

大晦日の今日でさえも、私には昔の知り合いの大切な誕生日で、それを思わない年はありません。そうでなくても、どれだけお人好しなんだと親からはよく罵倒されていましたが、まあ、それが私ですしね。今はただ、今年のすっきりしなかったことは置いていけたらいいな、と願って今年の独り言をおさめます。