もうこの類いは書きませんが

よく知り抜いている訳ではない人様のことをあれこれ批評しては嫌なので、しないつもりだが、でも、世間で売られている本は、もし、本人の意志で、書かれた通りの目的ならば、、、

あなたの魂を救済してどうする。

人を何回殺して冒涜したら気がすむのか。
いま、あんなに鮮明に書くんなら、まだ、人の性質とは変わらないのかな。更正プログラムは、、

言いたいことは山のようにあるけれど、自己陶酔してどうする。これしかいきるみちがないなら、誰も読めないところにしまいこめ。

誰が書いたかは知らないが、人を傷付け、冒涜しないと成り立たない理屈は、今のところ人間社会には存在しない。文章が美しすぎるので、まだ夢をみているようだ。。あなたは、そんなことのために、生かされた訳ではない。向き合え。

居場所

ものすごく、人見知りが激しい。

子どもの話ではなく、私自身が。人を選り好みなんてしてる間に、人生残り時間なくなるわという今に至っても、あまり人を信用できない。

でも、親に抱っこされることを期待もして居なかった3歳の頃なんか思い出したら、おんぶはいつも祖母の背中、同居してないのにですよ、親のモットーは、他人なんか信用する奴はバカだ。実際、母親は友人がいないことを自慢していました。内心寂しかったはずなのに、すごく誇らしげに、人を信じたらろくなことはないと。よほど、若いときに何かで傷ついたのでしょう。

ただ、これじゃ、人を信じる子どもにはなりにくいかも。詐欺には引っ掛かりようもなくて、いい面もありますよ。それは感謝かな。

私が在籍していた学校なんかは小さくてその分濃密で、同窓会も活発です。実家に案内来てるけど、新居更新まではなかなかしてないわ、て方は多いかもしれませんが、私は完全に行方不明者です。

これでいいのか、ずいぶん考えました。ふっと、選択の連続で、人それぞれの現在がある気がしました。

高校までは馴染めたり馴染めなかったりだったけれど、私は私なりに、宝物のようにキラキラした中高時代をおくらせてもらいました。これは、かえがたすぎます。ただ、今は、遠くで、自分を作っているから、戻らない選択しているだけです。

大学の友達は、一生付き合っていくつもりの人に多く巡りあえました。その違いがどうこう言いたいわけじゃなく、私には、友人がいる、独りじゃない、ありがたさを感じます。

難しく、なぜあちらは人間関係の縁が薄くてこちらは恵まれたか、追求したってわかりません。ただ、居場所があることにありがとう、


結婚した頃は荒みすぎていて、周りをバカにしていました。歳をとると、それなりに自分の舞い降りたところで根を張って、周りをみて、だんだんそれが、自分の居場所です。。

産まれた環境と違いすぎて、人を信じなさすぎてかなり難工事だけれど、生きてるかぎりは、居場所、作り続けるのでしょう。

あんまり、こんな苦労はしたくなかったけれど、そうするしかないなら、仕方ありません。疲れている日が多いから、いくら呆れられても、休みすぎながら、その分周りを頼って、苦手なんだけど、


私も、出てよかったじゃない?こもっていたら、会えない荒波。。。

でも、絶対に帰るからね。すっかり諦めていたけれど、居場所を作っているみたいだから、そのあと、帰るね。。。

写真

どうせ帰れないので、ジグソーパズルで故郷の城を再現しています。

家族みんな、わあ、できてきたね!言いながら、ピースを落とし、踏みつけます。おかげで角がいくつか、不明です。これが何城という名前なのか、誰も知りません。これが故郷だ~!とノイシュヴァンシュタインを作っても、同じ反応でしょうね。

河原の石積にしか思えなかった作業のなかから、ようやく天守閣が見えてきました。祖父母の思い出がいっぱいすぎて、実際に見学にいきたいけれど、今は写真を仰ぎ見るのも、何だか涙ぐみそうで、もう少し落ち着こうな、そしたら帰ろうな(いつのまにか我が家の城扱い)、と励ませるようになりました。行ったら泣くんでしょうな。連れは確かに迷惑ですね。

あまりに星空ばかり見て、祖父母のところまでいこうと、何夜も外にいたので、いい加減にしろと思ったのか、初めて見る、二人の生前の写真が何枚か見付かりました。昔の人で、写真とか写りたがりませんでしたから、珍しい気がします。

私はとりあえず、ここらを心の拠り所にして、土台つくって、今を生きなければ。生きなくてもいいけれど、最期までは、少しはじぶん、まわりを楽にさせなければ。

ポキンと折れないように、、、城見ましょう。

アメダマ

なんだ、まだ生きていたのかと自分でも思います。

訳あって、アダルトチルドレンになっていたことすら気付かずに親になり、数年経ちました。

学校、年数だけは目一杯行きました。たくさんの親子、大小の事件に巻き込まれながらも触れあえて、そのなかからもがき、自分たちなりに自立を促すつもりで、孤独でしたが家庭を持ちました。

役に立ってんのかしら?

子どもはよくも悪くも過去の自分にみえ、これを、叱りすぎてもいけない、個性を伸ばすべき、強制はしてはならない、自力でいきられるよう、見守りながら適度にだけ手をさしのべる。


出来るかそんなこと!書いていても、意味がわからないわ。これ、日々の健康と安全と、安心できる居場所を用意したうえでの、話だからね。親て、神なんじゃないかと思います、こんなことができるんなら。

まして、毒親から逃れて自分再生に必死になりながら、私自身の親類は全員没交渉、義理父母には、なんでいつも元気ないの?と、未だに首をかしげられたまんま。いや、 少し考えたら分かるでしょう。出産したかどうか、何回手術を乗り越えたか、興味もない自分の親を思うと、孫、見せたかったなあって。それぐらいは、一度ぐらいは、かわいそうにと声かけてくださいよ。


通院しているから、客観的にどうしようもない病態なのは、何人か知ってくれています。その救いだけで、あとは子ども本人とのぶつかり合いで、命削りながら、沢山教わり、考えることもやめて吸収だけして、また家族の鈍感さに甘えて八つ当たりして、現在です。


子どもは個性的すぎて、日々対応が大変になるばっかりで、赤ちゃんの頃の苦労はなんだったんだ、楽になるんじゃなかったのかい!と、文句言いたくなります。でもそのもがきの、恐ろしく未知なる生物との闘い?が、何かを、私に遠回しに教えてくれます。

普通に育ちたかったなあ。。。未就園児の頃から小説書くのが趣味なんて育ち、する前にやることたくさんあったのに。。いまとなってはどんなにてを伸ばしても取れないアメダマ。いいなあ、我が子はワガママ放題で。。のびのびしすぎで。。かなり枠からはみ出しすぎて。。これはこれで心配というか呆れるというか。。。

久し振りに読書したら

わあ、久し振りに読書して、感想文書いたと思ってたら、別のページにアップしてました~。。

ついていけてないな。。今の機器に。。


読んだのは、こころ。偶然というか。大昔初めて読んだときは、あまりの暗さが重く、遺書が長すぎるのにドン引きして、それからあまり、よみかえしたくなかったんです。

今回、軽く目を通しただけなので、無茶苦茶かもですが、kさんは、先生の行為で自殺した訳ではないのでは?そりゃ、確かに引き金はひきました。けれど、理由はそれじゃなく、求道者として迷いすぎて、決めたのかなと。浄土真宗にルーツをもつのなら、恋も含めての自分形成はできたろうに、何だか勿体ないですが、生真面目すぎというか、若すぎたのかも知れません。

それからしたら、先生は、エゴだらけです。最期まで、ヒトの一大事に、自分のことを理解してみたいな長い遺書を。結局、そこまでした奥さん1人すら、幸せにできなかったんですし。
でも、彼が悩む彼のエゴを、一々悩んでいたら、人類なんか全部、同じように死なねばなりません。明治の精神かもしれません、殉じる気持ちも本物でしょう、だけど、きっかけをそこに求めただけともいえます。

奥さんに打ち明けたら、違っていた。彼が傷つけたくないなんていうのは、そここそエゴです。自分一人のアタマの中だけで結論だしたりして、kのアタマのなかを、本気で想像したでしょうか?自己満足なんじゃないかなあ。。遺された奥さんにはどうしろと。


責めてばかりで申し訳ないですが。。明治のインテリ男性てこんなんかもしれないけれど、、、今の考え方すぎるかもだけど、、、1人の自己満足、完結させてどうするの、悩むならはっきり自分のエゴを引きずり出して見つめる勇気が要る、と思います。。

年末年始は憂鬱

とっくに理屈わかっていたつもりでも、悟りきれていなく、納得してもいない自分の厚かましさというか未練に囚われることがある。

博士課程中退では、やはり、どこにも就職はムリ~なんだなと。

日本は、年度の途中で採用すら、かなり嫌がる。ましてや、うーん。

理系ならね、文系でも英語でスラスラ発表できていたら、何とでもなるでしょう。

自分のアタマが悪いからムリ~、て納得して業界を去ったはずなんです。賢い人は、キリもなく凄いですから。

でもね、だからといって、学生時代という言葉を出しただけでバイト先でめずらしがられ過ぎていじめられかけた経験もあるから、絶対に過去はバレないようにして、育児にだけ専念。今さら働きに戻ると、意外に周りがかなり困るし、やはり家で病気療養、て病気自体も必死に隠しながら、と、息が詰まり、たいしたものでなくても、働いている人から自慢ばかりされていますよ。。いかに自分は老齢になっても社会から必要とされているか、と。

なんかね、日本風土にちょうどいい、使い勝手のいい人間だけ重宝している社会みたいに、私には思えます。。

あと、理屈はわかりますが、外で働いてると輝いている人、みたいに言うの自体、やめませんか?引きこもっている人も、家の中でもがいて動く人も、全然無視の発言じゃないですか?

要らない人間て、ホントに1人もいないんです。要らなく、排除しているだけですよ。

何とかなりませんかねえ。。。

20年経つけれども

あんまりぴったりその日に書くとなんか恥ずかしいので。

あれから20年、変わりすぎるぐらい変わる世の中や自分を経験したけれど、そのぶんもちろん歳をとったけれど、私のなかでは20年前に大切だったこと、なに一つ変わっていません。死に別れた人も生き別れた人も、変わってしまったことも、特に人や土地への想いは、全く変わっていませんよ。

故郷だとかいいながら、この大寒波でも雪が全く見られない土地から、なかなか帰れないけれど、一番大好きです。当時すきだった人も、変わるもんですか。

負けていられません。。大寒波に酷暑でも。。。へたっていますが、、、想いは、変わりません。